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  • 2017.03.31 Friday
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Feeling of Messiah iTunes、amazonにて販売中!

JUGEMテーマ:音楽
tkd69の4枚目のアルバム、Feeling of Messiahがダウンロード販売中です。
国内では、iTunesとamazonのみです。
世界配信では他にSpotify、Google、Rdio、YouTubeが対応しています。
このアルバム、本来なら日本語のタイトルの曲があるのですが、
諸事情により英語もしくはローマ字表記となっています。

2曲目のアスファルトはAsphaltに、7曲目の疾走はSissou、
8曲目の水蒸気の雲はSuijyoukinokumoといった具合に・・・(大汗)。
残りの5曲は英詞です。
ロックが好きならぜひ試聴してみて下さい!

tkd69 iTunes amazon デビュー!



以前からアップロードしていたMaking Me Styleという、
自分の曲に関心を持ってくれた海外のリスナーから、
iTunesで曲を買いたいとの要望がありました。

そこで英詞の多い、3枚目のアルバム'ARE YOU MAKER?‘を、
iTunesにてアップさせることにしました!
アップロードしたサイトは次の4つです。
iTunes、amazon(デジタルミュージック)、google play、spotify。
日本のサイトでダウンロード出来るのは、iTunesとamazonのみ。
iTunesはaac(mp4)ファイル1曲150円でアルバム1050円。
amazonはmp3形式の1曲100円でアルバム700円です。
50円の差は音質でしょう。
iTunesにてtkd69を検索すれば曲の試聴と購入が出来ます!
amazonはこちら
そのうち、4枚目のアルバム'Feeling of Messiah’もアップする予定です。
 

Rock名盤解説 File5. Dixie Chicken

 

Little Feat   1973

最初にこのアルバムの存在を知ったのは、
はっぴいえんどの最後のアルバム、
HAPPY ENDにリトル・フィートのメンバーが参加していたからです。
洋楽テイストふんだんのこのアルバムは、
日本のロックシーンの金字塔だと思っています。
ローウェル・ジョージというギタリストがクレジットされていて、
たまたま読んでいたギターマガジンに特集されていたので(汗)。
興味を持って、さっそくレンタルCDに借りに行きましたww
リスペクトしたものの源流を探ることが、
自分の音楽にプラスになると思っていたので、
当時はアホみたいに音楽聴きまくっていました。

このアルバム、ディキシーチキンは普通に聴くと、もの凄く地味です。
ハードロックのような派手なギターリフがあるわけでもなく、
特別にうまいボーカルがいるわけでもありません。
ただ、聴き込めば聴き込む程、このアルバムは味が出てきます。
単に、アメリカ南部音楽の豊穣さという表現では足らない、
独自の音楽性と計算されたリズム・・・。
もの凄くラフかと思うと実に緻密であったりします。

この時期のロックは、派手なアプローチをするバンドがバンバン出た時期でした。
レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、エアロスミス・・・。
解りやすく言えば時代はハードロックを求め、
ギターリフはどんどん進化していきます。
そういった流れに添うようにギターアンプの出力も上がっていき、
まさに音楽のインフレ化の進んだ時期でした。
そして、演奏するステージも巨大化し、ロックはどんどん産業化します。
そういった流れに対抗する為に、パンクが生まれます。

ただ、パンクは音楽的に解答がなかったように思います。
もちろん、観念的な部分やスタイルは確立したと思っています。
しかし、リフの複雑化に対する、
シンプルなロックへの回帰だけでは正直もの足りません。
そういったリスナーに対する答えが、このアルバムのサウンドだと思います。

その特徴ですが、華美にならないということにつきます。
70年代はまさにマーシャルの2段スタック全盛で、
どれだけ派手なリフやリードが弾けるかということに主眼が置かれていました。
これでもか!というくらいにリードでは手数が求められ、
テクニックがどんどん進化していきました。
そういったギターも嫌いじゃないんですが、
80年代ではもう食傷気味なんですよね。
スケールなんか、ハーモニックマイナーP5とか暗号みたいで(笑)。
対照的に、ローウェル・ジョージはテクニックはあるのに、
腹八分目の良さを追求します。
ギターは、きちんと主張していますが必要以上に弾きすぎません。
バンドのアンサンブルを壊すようなリフも弾きません。
スライド弾いてても、曲を引っ張るというよりも、
流れにマッチさせます。
アンサンブルにこれだけ溶け込むオブリやリードというのは、
ちょっと他には見当たりません。
90年代になるとこういったギターが主流になってくるのですが、
それより20年も前にこういうアプローチをしているのが、
非常に興味深いです。
ちなみにこのローウェル・ジョージは、
フランク・ザッパのバンドに参加してた程のテクニシャンです。
リトル・フィートではボーカルも担当していたバンドの中心人物です。
テクニックをひけらかすことが、
音楽性の良さに繋がらないことが解っていたので、
こういうギタープレイをしていたのだと思います。

使用ギターはラージヘッドのストラトキャスター(1970年代)、
アンプは特注のダンブル。
それにMXRのダイナコンプをかけ、基本フィンガーピッキング。
スライドギターが得意でアコギも結構うまい。
トーンはまあまあ歪ませてます。ボリュームは控えめですが。
メイン・ボーカルもローウェル・ジョージが担当しています。
ハードロックのボーカルが声の高さを競っていた時代に、
こういう味のある朴訥な声ってなんかほっとします。
天才バカボンのようなニール・ヤングと双璧です。

ライブの映像があるので観てもらえれば解りますが、
冴えない田舎のにーちゃんって感じの人です。
これがこのアルバムでブレイクするんだから、
70年代初期って素晴らしいです。
もし日本だったらフロントマンのこのルックスでアウトでしょうね(笑)。

ベースは、2枚目までのロイ・ベストラーダの後任であるケニー・グラッドニー。
ツイン・ギターの一翼を担うポール・バレアが脇を固め、キーボードにビル・ペイン。
ドラムにリッチー・ヘイワード、パーカッションにサム・クレイトンというメンバー構成。

このメンバーの中で奇妙なのが、ドラマーのリッチーですね。
前作、セイリン・シューズと違ってちょっとファンクな感じのドラムを叩いてるんですが、
なんというか、癖が独特なんですよ。
ここに、ケニーのベースが乗り、更にローウェル・ジョージのギターが入るわけだから、
なんとも言えないグルーブになるんですよね。
決してかっちりしたリズムではないんですが、妙にグルービーなサウンド。
ちなみにディキシー・チキンのプロデューサーはローウェル・ジョージ本人がやっています。

アルバムの構成としては、
タイトル曲のDixie Chickenはニューオリンズファンクの影響を受けたノリのいい曲。
2曲目のTwo Trainsでもファンクなノリは続きます。
3曲目のRoll Um Easy、これが痺れます。
地味なバラードで時間もたった2分30秒なんですが、
これぞローウェル・ジョージといった暗さがなんとも言えないです!

そして、4曲目ではタメを重視した曲調のOn Your Way Downです。
このまま5曲目もなぜか同じ路線のアーティスティックな曲で、
6曲目は明るめのFool Your Self、そして7曲目にWalkin' All Nightに繋げます。
実は、このWalkin' All Nightが結構キモでめっちゃカッコいいロック曲なんです!!
すなわち、アルバムの3〜5で6,7曲目のピークまでに盛り上げていってるんですね。
しかも1曲、1曲がクオリティの高さを示しながら。
8曲目もファンク調で9曲目のJulietteではなぜか日本チックなバラード。
そして最後の曲はなんとインストです。

このアルバムの流れは聴いていて非常に気持ちがいいです。
こういう構成でアルバムを作った、
ローウェル・ジョージのプロデューサーとしての力量はたいしたものだと思います。

当時のロスのシーンを席巻したリトル・フィート、ぜひ聴いてみて欲しいです。


1960年代のロックについて Rock名盤解説番外編

今のロックシーンには、時代を変革するようなエネルギーはありません。 
ビートルズにRevolutionという曲がありましたが、 
間違いなく60年代の音楽は時代を変えました。 
ではなぜ、この時代なのか? 
それは当時の時代背景もあったと思います。 
アメリカ、ソ連、イギリスは第二次世界大戦で勝利しました。 
日本、ドイツ、イタリアは敗北し世界の趨勢は英語圏2国、 
ロシア語圏1国によって動かされることになりました。 
エスペラントという国際公用語も提唱されましたが、 
冷戦下の国際公用語としての地位を占めたのは英語です。 
映画の中心はハリウッドであり、 
音楽の中心も英語圏になるのは時間の問題だったのです。 
1960年代は、終戦の1945年より15-25年の期間、 
つまり英語圏の文化が普遍性を持つ格好の時期だったのです。 

しかし、それだけでは人は支持しません。 
なぜロックミュージックなのか? 
それは一番ストレートに当時の人々の心情を反映していたからでしょう。 

1950年代、黒人から生まれたブルーズはロックに進化します。 
それはやがて、白人も模倣することになり、 
そのフォーマットは拡大していきます。 

終戦してから十数年経つと、帝国主義的な争いから人々は解放されました。 
それでもナショナリズムは、朝鮮戦争やベトナム戦争、 
中東戦争、ユーゴ紛争といった局所的な戦争を引き起こします。 
核兵器は冷戦の構造下で飛躍的に物量を増やし、 
キューバ危機に代表されるような、
人類存亡の危機までも感じられるようになります。 

従来の価値観、従来の文化では人は救えなくなったのです。 
大衆が持つ心情を代弁し、 
且つ閉塞感を打ち払えるもの=ロックミュージックだったのです。 
挑戦的な歌詞、挑発的なビート、開放感を助長するセックス描写・・・。 
そのフォーマットは黎明期においては小さいものでした。 
黒人や白人の一部が社会の片隅で楽しむものだったのです。 
ところが、ロックに巨人が現れました、 
それがエルヴィス・プレスリーです。 

彼は黒人でない白人のロックスターとして、 
白人層をロックに取り込むことに成功します。 

そして、アメリカのロックミュージックは、 
冷戦下のもう一方の大国、イギリスをも取り込みます。 
そして、ビートルズ、ローリングストーンズに代表される、 
イギリスのロックバンドがロックをさらに発展させます。 

そうなると、小さいコミュニティだったロックが、 
海を挟んで広がったことになります。 
たった二国間のことではありますが、 
英語圏の大国です。 
この2つの国家が1960年代当時、
世界に与える影響は多大なものがありました。 

当時の西側国家の大半は、ロックに夢中になりました。 
東洋では沖縄のベースや横浜からロックは広がります。 
そう日本では、米軍基地から聴こえてきたのです。 

爆発的な広がりは、ロック人口だけではありませんでした。 
従来の音楽のフォーマットすらも取り込んでいき、 
色々な要素のロックが提唱されていきました。 

例えば、カントリーの要素は、 
バーズやバッファロースプリングフィールドなどのバンドを生み出し、 
ジャズの要素は、グレイトフルデッドや、 
オールマンブラザーズバンドが代表するセッションバンドを台頭させます。 
それぞれのファン層は、ロックというムーブメントに吸収され、 
ヒッピー層を中心に拡大していきます。 

こういったうねりはやがて、 
ウッドストックというかつてない規模のロックフェスティバルに繋がります。 
このフェスティバルには40万人以上の観客がつめかけました。 
しかも、そのうちの半数はチケット代を払わなくても入場出来ました。 
フリーセックス、アシッドテスト、フリーコンサートにベトナム反戦運動・・・。 
ヒッピーの理想と、音楽の理想の祭典がウッドストックだったのです。 

今の音楽には、理想を体現するエネルギーはありません。 
ではなぜ、音楽から力が無くなったのか? 

ロックが台頭した時代は、
超新星爆発のように才能のあるミュージシャンが現れました。 
ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、 
マイク・ブルームフィールド、ニール・ヤング、ジョン・レノン・・・。 
ジャンルは一言でいうならロックでした。 
様々な方向性や、個性があってもその一言で分類できたのです。 
ロックを好む人は革新的で、 
保守層は受け入れませんでした。 
明確な区分けはこういったシンプルなものだったのです。 

ところが、1970年代のワイト島以降のロックは、 
徐々に産業に取り込まれます。 
ジャンルも分類され、ムーブメントは細分化されます。 
あたかも、超新星爆発の後に、星や銀河が次々と生まれて、 
広い宇宙に点在していくように・・・。 

この後の展開は、70年代、80年代のロックを研究していくことで、 
明らかにされるでしょう。 
60年代を表現するならやはり、ロックの黄金期ということにつきます。
 

Rock名盤解説File.4 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

 
The Beatles 1967

最初にこのコーナーを始める時に挙げた名盤の条件を思い出して下さい。
1.アルバム自体の出来 
2.時代に与えた影響 

この2つの条件に完全に合致しているのが、このアルバムです。
名盤中の名盤、それがThe Beatlesの8作目のオリジナルアルバム、
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandです。

まず、最初に確認しておかなければならないことがあります。
SGTこそ、世界最初のコンセプトアルバムであったという事実です。
アルバムに一つのテーマを決め、それに即して曲を配置するのが、
コンセプトアルバムです。
このアルバムの場合、架空のバンド(それぞれビートルズのメンバーが演じる)、
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandが演奏するといったスタイルになってます。
1曲目と、2曲目では完全にメンバーが、Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandとして演奏します。
最後のA Day In The Lifeの手前で再び1曲目のSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(Reprise)を、12曲目に配置して統一感を出すといった手法は、並の発想ではありません。

ではなぜ、こういった手法を考案したのでしょうか?
ポール・マッカートニーが1966年の末に飛行機の中で思いついたということもありますが、
それ以上の事情がありました。
筆者は中期以降のビートルズの変化が多大に影響しているのだと思っています。
1966年のワールドツアー以降、ビートルズはライブをやらなくなりました。
一説にはPAシステムがビートルズ規模のライブに追随していなかった為、
オーディエンス(観客)の歓声に演奏が聴こえなくなったとか言われています。
それ以外に最大の理由があるとすれば、
マナージャーのブライアン・エスプタインの1966年の死ではないでしょうか。
ブライアン・エスプタインは、メンバー間の調整役であり、その接着剤でした。
彼の死以降、ビートルズのメンバーは、急速に仲が悪くなり、
4年後の1970年にバンドは解散します。

ブライアンあっての過酷なツアーであり、
彼の死により、実質的にライブが出来なくなりました。

それでは、ビートルズはどのように活動していけばいいのでしょうか?
そこで考えたのが従来と異なる方法でレコーディングするということでした。
それ迄のビートルズはラバーソウル(1965年)まで、
ライブで演奏する曲をアルバムにまとめていました。
言い換えれば、ライブで演奏する範囲内でのみ曲を録音していたということになります。
その一方で、録音技術の革新がありました。
そう、4トラックのオープンリールMTRの登場です。
この新しい録音システムは、もはやバンドにモノラル時代の一発録りを強要しなくなりました。
各パートごとに、何回でもやり直しのきく録音機材の登場は、
スタジオに革命をもたらしたといっても過言ではありません。
正確には、1960年代半ばには開発されていたので、
前々作ラバーソウルの時期から4トラックは導入されていました。
しかし、ラバーソウルはわずか4週間のレコーディング期間しかかけていません。
SGTの前作のリボルバー(7作目)は1966年4月から6月下旬にかけて、
レコーディングされましたが、SGTは1966年11月から1967年3月まで制作されています。
つまり倍の期間で録音しています。
こうなると、ライブとスタジオ録音盤では、違ったベクトルで作業することになります。
ライブはバンドの実力による瞬間的なパフォーマンスであり、
対照的にスタジオ盤は時間をかけて芸術作品を生み出すということです。

このベクトルが同じ方向を向いていたのが、SGT 以前のアルバムであり、
旧来の録音方法です。
ライブをしなくなったビートルズは、アルバムという芸術作品を生み出すことにします。

こういう手法で録音するには、格好の環境がビートルズには揃っていました。
メンバーのライブに対する熱意の低下による、レコーディング時間の拡大。
MTRの進化と4トラック2台を使った疑似7トラック技術。
天才的なプロデューサー、ジョージ・マーティンの手腕。
これらの要素が複合的に絡んだ結果、それまで誰も生み出せなかったアルバムが誕生したのです。

そして、メンバーの音に対する考えも変化してきました。
前作、リボルバーからも解るとおり、ジョージ・ハリソンはインド音楽に影響を受け、
シタールをラヴィ・シャンカールから学びます。
SGTセッションでも、8曲目のジョージの曲Within You Without Youでサイケな雰囲気を演出しています。
リボルバーでは、Yesterday以降使われることになる、弦楽四重奏がEleanor Rigbyに使われたり、ポール・マッカートニーが主体となる曲におけるクラシック楽器の扱いが増えます。
ジョン・レノンは、ますますサイケにのめりこみ、3曲目のLucy In The Sky With Diamondsや、
7曲目のBeing For The Benefit Of Mr. Kite!のような幻想的曲を書くようになります。

こうなってくると、もはや一つのバンドとしての音の整合性は無くなってきます。
実際、次のホワイトアルバムでは、メンバーの指向がバラバラになり、
レコーディングも一緒にやらないことが多くなります。

それらを統括するのが、1曲目でのSGTバンドの紹介、2曲目にビリー・シアーズ(リンゴ)のボーカル曲という流れではなかったのではないでしょうか?
実際SGTはリプライズが12曲目に配置されています。この後の13曲目のA Day In The LifeはSGTではなくビートルズとして、演奏している設定ではないかと歌詞の意味から個人的に思っています。

エスプタイン亡き後、メンバーの接着剤として期待できたリンゴ・スターですが、
この後のホワイトアルバムではポールと衝突します。
だもので、ホワイトアルバムの1曲目Back In The U.S.S.R.では、ドラムをポールが叩いてます。
ホワイトアルバムでジョンやポールのアコギ曲が増えるのは、メンバー同士の諍いが顕在化した為ではないでしょうか?
もちろん、この時期にアビーロードスタジオに導入された8トラックMTRの恩恵もあったのだと思います。

SGTセッションの時には、まだそこまで不仲にはなっていません。
レノン・マッカトニー名義の曲でも、ジョンとポールの共同作業は機能していました。
その白眉とでもいうべき曲がSGTであり、A Day In The Lifeです。

このアルバムでは4曲目のGetting Betterも忘れてはなりません。
青盤(後期のベスト盤)で収録されているのは、1.2.3.13曲目です。
これらの曲はそれぞれ素晴らしいのですが、アルバムを聴かないといわゆるビートルズの裏名曲は聴けません。
ポールの珠玉のバラード She's Leaving Homeや、12曲目のSGT Repriseも、
アルバムにしか収録されていないのです。
特に、Getting Betterはノリのいいロック曲で、機会があれば聴いてみることをおすすめします。
そして、このセッションでは、ビートルズの最高傑作の一つ、
Strawberry Fields Foreverが録音されています。
当時のイギリスのシーンでは、シングル曲はシングルとしてのみ売り出されるので、
残念ながらアルバムには収録されていません。
この曲は、逆回転サウンドを導入したことで有名です。
メロトロンのトーンによる幻想的な雰囲気があります。
半音近い音程差とテンポが違う2つのテイクを繋げる為に、
テープの回転数を抑えて、ピッチとテンポを合わせて一つにするという離れ業をジョージ・マーティンは行っています。
当時デジタル機材などないので、当然手動です。
つなぎ目を決め、異なるテイクを少しずつ調整していきテンポとキーを合わすのは、
かなり根気のいる作業だったでしょう。
今なら簡単に出来ることが、当時の技術では困難だったのです。

これらの実験的で野心的な試みが、ロックを格段に進化させました。
SGT発表後、このアルバムを意識せずに作られたアルバムはありません。
2000年にレディオヘッドが、KID Aを発売して以来、
ポストロックを意識しないバンドが無くなった現象に酷似しています。
ストーンズは、コンセプトアルバム、サタニック マジェスティーズをレコーディングし、
バッファロー・スプリングフィールドはアゲインをリリースします。
どちらも、1967年後期にリリースされ、SGT以降のアルバムとして、
コンセプトを意識して作られています。

そして、SGTで生まれたのはもう一つあります。
アルバムに流れを作るといった考えです。
1曲目で勢いを生み、2で落ち着かせ、3曲目で感覚を揺さぶり、
4で高揚し、5,6でまた落ち着く・・・。
一枚のアルバムに計算されたかのような流れが出来ています。
ビートルズには、ジョン、ポール、ジョージという三人の作曲家がいました。
たまたま生まれた曲を繋ぎ合わしただけではこういった流れにはなりません。
おそらく、各人がそれぞれアルバムのピースに当てはまる曲を、
意識しながら書いたのだと思います。

SGT以降、他のバンドもこうやって一枚のアルバムに抑揚をつけるようになっていきます。

本当の意味でのオリジナリティとは何か?
それは、あらゆる文化で共通しているテーマだと思います。
ビートルズは、既存の音楽に無かったものを生み出しました。
そして、そのアルバムは後世に影響を与え続けています。
よって、このアルバムSGTこそが、
ロックの歴史上、最も偉大なアルバムであると思います。

さて、次回は閑話休題として、60年代のロックのまとめをしてみようと思っています。
他にも紹介したいアルバムはあるのですが、
そろそろ70年代について書いていこうかと思います。



ROCK名盤解説 File.3 Jimi Plays Monterey

JUGEMテーマ:音楽

Jimi Hendrix Experience 1967

ジミヘンのアルバムと言えば、
生前に作られたAre You Experience?やAxis:Bold As Love、
そして最高傑作のElectric Ladylandです。
これらの3枚はスタジオで録られたアルバムであり、
じっくり作られている分だけ、聴きやすいのですが、
このライブを聴いた後だとどうしてももの足りないような気がしてしまいます。

3枚目などはジミのライブ感はあるのですが、曲はどうしても1枚目に分があります。
2枚目は時間を短くする為にギタープレイを編集しすぎであまり好きではなく、
どのアルバムも帯に長し襷に短しといった感じです。
Are You Experience?は同時期のジミヘンのファーストアルバムですが、
どうしてこれだけライブと差が出たのでしょう。
スタジオを予算の関係で複数使用しただとか、
色々と原因は考えられます。

基本的に、バンドのファーストアルバムは、
バンドで一番勢いのある時期ですので、それを重視します。
ところが、Are You~では真逆のことをしています。
そうでもしなければ、ジミの荒さが出てしまって、
当時のシーンでは売りにくいからでしょうが、
肝心のバンドの熱気が込められてません。
たぶん、当時既に導入されていた4トラックの機材(オープンリールMTR)を使って、
テイクを何回か重ねたのでしょう。
何回も弾き直すと、確かにミスは少なくなりますが、
ここ一発の気合いも削がれてしまいます。
おまけにシングルを売る為に、
イギリス盤では代表曲Purple Haze(アメリカ盤では1曲目)をカットするという、
今では考えられない販売形式をとっていました。
ビートルズでもSGTセッションの中の傑作曲、
ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(アメリカ編集盤のマジカルミステリーツアーには収録)をシングルカットしてアルバムに収録しなかったり、
1960年代当時のイギリスのシーンではよくあることだったらしいです。
ジミヘンは後で語られる出来事のお礼として、
ビートルズの名曲SGT(サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド)を、
カバーして演奏しています。
今のJASRACとかいう搾取集団に聞かせてやりたい話です。

では、ジミヘンの何が一番凄いか?
それはやはりライブのパフォーマンスでしょう。
スリーピースバンド(3人編成)のバンドの限界を極めたような演奏は、
ジミヘンの卓越したギターテクニック無しでは語られません。
というのも、ジミヘンはギターだけが役割でなく、
メイン・ボーカルも担当しているからです。
ジミヘンのバンドはエクスペリエンスという名称ですが、
あくまでJimi Hendrix Experienceであり、
直訳するとジミヘン体感なのです(笑)。
ジミヘンは、まるで他にギタリストがいるかのような演奏をします。
リズムカッティング、リフ、オブリ、リードの全てをこなします。
しかも、ボーカルをしながら裏メロを弾くという離れ技までやってのけます。

ギターを弾いていたら解ることですが、ボーカルやりながらメロなんて普通は弾けません。
というのも、ボーカルで発声している時点で、
メロディラインを脳でイメージしてしまっているので、
指でそれをなぞらえるのはほとんど不可能なのです。
ボーカルを歌いながら出来るのは、
コードカッティングやリフといったメロディラインと直結しない弾き方のみです。
これまでのボーカル兼任のブルーズマンやロックギタリストは、
歌の合間にメロディを弾いてました。
それが短ければオブリ(クラシックでは裏メロのこと)、
長ければリードと呼んでいたのです。
ところが、歌の最中の裏メロは弾きませんでした。
主旋律に沿う形ですが、それをやったのはジミヘン位でしょう。
ジミヘンと言えば、派手なパフォーマンスです。
ギターを歯で弾いたり、背中で弾いたりしています。
それはそれで難しい(アホな)のですが、
前述したテクニックこそが凄いと思います。
なぜなら、これは当時ジミヘンしかやっていなかった(出来なかった)ことですから。
そして、最後のWild Thing(カバー曲)のフィードバック奏法なんかもジミヘンが開拓した奏法です。
起源説には諸説あり、フーのピート・タウンゼント説もありますが、
積極的活用という点においてはジミヘンがナンバー1です。

余談ですが、ポール・マッカートニーはジミヘンの凄さをクラブで体感して以来、
色々なミュージシャン仲間をジミヘンの演奏しているクラブに連れていったらしいです。
その中には、ストーンズや、クラプトン、ジェフ・ベックなどそうそうたる面々がいたようで、
後にその衝撃を口々に語っています。

ジミヘンはアメリカ生まれの黒人であったため、
その音楽キャリアはバックミュージシャンとして始まりました。
1966年、アニマルズのチャス・チャンドラーに誘われるままにイギリスに行きます。
そのとき、ジミはチャスに、「クラプトンに会えるかな?」
と聞きますが、チャスは「いずれクラプトンの方が会いに来るよ」と言ったそうです。
ジミヘンもかなりクラプトンを意識していたみたいです。

他にジミヘンが意識していたのはボブ・ディランでしょうね。
3曲目のLike A Rolling Stoneはボブ・ディランの代表作のカバーです。
ジミヘンは結構ディランのカバーをしていて他に有名なのは、
Electric LadylandのAll Along The Watchtowerでしょう。
この曲は後に、U2もライブでジミヘンバージョン意識してやってました(笑)。

ドラマーのミッチ・ミッチェルは、ジミヘンのイギリス時代からその死の直前まで、
行動を共にしたメンバーです。
イギリスに渡ったジミヘンは、マネージャーのチャスと共に、
メンバーのオーディションをします。
イングランド出身のこのドラマーは、
ジミの変幻自在のプレイについていける力量があったと思います。
特に、モンタレーではテンションが高くて走り気味だった、
ジミヘンに対して勢いのあるドラムをしています。
1曲目のKilling Floorからひたすら全開ですww
このあたりが、ファーストアルバムにはないライブならではの要素です。

この曲と4曲目のRock Me Babyは3,5,9曲目と合わせてカバーです。
というか、カバーがオリジナルを凌駕しているのは、1、4曲目だと思います。
ジミヘンは何を弾こうがジミヘンの曲にしてしまいますね。
Rock Me BabyもほとんどRock Me Babyしか叫んでません(大汗)。


モンタレーポップフェスティバルは、1967年アメリカのモンタレーで開催されました。
約20万人を動員したというこのフェスティバルは、その後のウッドストック、ワイト島に繋がります。
個人的に重要なのは、このフェスティバルでインドのシタール奏者、ラヴィ・シャンカールが着目され、インド音楽とロックの融合がアピールされるようになったことです。
ちなみに、このフェスにはバターフィールズブルーズバンド、ジャニス・ジョプリン、
バーズ、ザ・フー、グレイトフルデッド、
バッファロー・スプリングスフィールドといった、大物ミュージシャンが出演していました。
ジミヘンの映像は、レンタルビデオ店で借りたとき、
オーティス・レディングとカップリングされていました。
そういえば、このライブアルバムのLP盤でもオーティス・レディングとの同梱盤だったそうです。
ちなみに僕が最初にこのアルバムを聴いたのは、
1990年代にジミヘンのアルバムがデジタルリマスターされた時ですね。
その当時は、レンタル店で借りてカセットに録り何回も聴いたものです。
6月18日の夜の部に出演する直前、ジミとフーの間でちょっとしたトラブルがありました。
演奏の順番をめぐって、口論になり結局フーが先に演奏し、グレイトフルデッド、
ジミヘンの順になったのです。
フーは、キース・ムーンのドラムキットを破壊する程暴れ、
ジミヘンは対抗するように、9曲目のWild Thingでストラトを燃やします。
このへん、アホですねー。マネしちゃいけません(笑)。
映像ではチューブから油をかけて、火を点けてます。


ノエル・レディングは、ジミヘンドリックス・エクスペリエンスのベーシストです。
元々ギタリストで、ジミのバンドのオーディションの時に初めてベースを弾いたとか(ホントかよ!)。
そういえば、アル・クーパーもボブ・ディランのアルバムに参加するときまでは、
キーボードを弾いたことなかったみたいだし、
当時は才能さえあれば仕事にありつけたみたいです。
この人、確か1969年にエクスペリエンスから脱退するんでしたねー。
そういえば、その後一時的にバンド・オブ・ジプシーズとしてジミヘンは活動しています。
最後のワイト島の演奏(1970年)にはミッチ・ミッチェルとビリー・コックスという布陣で出演していましたww
ちょっと高い声でコーラスしているのは、ノエルでしょう。
実はエクスペリエンス時代に、メインボーカルを各アルバムで1曲づつしているんですよ。
曲も書けたみたいだし、かなりの芸達者ですね。
黒人一人と白人二人というメンバー構成がこのバンドのユニークなところです。
ジミが白人のファンに受け入れられたのは、
このメンバー構成がキモであったのかもしれません。

このライブの流れですが、1.Killing Floor  2.Foxy Lady 3.Like A Rolling Stone
4.Rock Me Baby 5.Hey Joe 6.Can You See me 7.The Wind Cries Mary
8.Purple Haze 9.Wild Thing といったセットリストになっています。

2.6.7.8はジミヘンの曲で、特にPurple Hazeはおなじみのナンバーです。
The Wind Cries Maryはバラードです。
1.2で度肝を抜いて、3で皆がよく知っているカバーを入れる。
その後は、激しい曲とバラードを混ぜて場を作り、
最後のPurple HazeとWild Thingで強烈なインパクトを与えつつ締める。

荒削りで、且つ猛々しいライブです。
これだけビビッドなライブはもう見られないと思います。
60年代のライブ盤の名盤に、
オールマン・ブラザーズバンドのフィルモア・コンサート、
アル・クーパー、マイク・ブルームフィールドのフィルモアの奇跡、
そしてこのJimi Plays Montereyの3つを挙げておきます。

次回はイギリスの最大の名盤について語ります。


Rock名盤 File.2 LAYLA and other assorted love songs

 

DEREK AND THE DOMINOS   1970

前回、紹介したアルバムMusic From Big Pinkから2年後に発表されたアルバムです。
クリームを解散したエリック・クラプトンは、ブラインド・フェイスを経て、
デラニー&ボニーとのツアーを開始。
そこで知り合ったアメリカのミュージシャンと再びバンドを組むことになります。

クラプトンは、イギリス人ですが元々ブルーズが好きで、
祖父にギターを買ってもらい音楽を始めました。
クラプトンにとってギターの原体験とは、黒人のブルーズマンでした。
ヤードバーズ、ジョン・メイオール、クリームなどは、
彼のキャリアを語るに欠かせないバンドですが、ソロ以外の最高傑作は、
このデレク・アンド・ドミノスのいとしのレイラ(邦盤タイトル)だと思っています。

最初にこのアルバム聴いた時、一番インパクトがあったのが、
強烈なツイン・リードでした。
1曲1曲がやたら長く、7−8分の曲が何曲もあります。
間違いなく、このツインギターが曲を長くしてる原因ですww
当時、購読していたギターマガジンのライターが、ゴジラとガメラの怪獣対決!
なんて書いていたけど、まったくの同感です(笑)。

世界三大ギタリストであり、
「スローハンド」という異名まで持っていたクラプトンに対抗出来るギタリスト、
それがデュアン・オールマンです。

デュアン・オールマンはオールマン・ブラザーズバンドのリード・ギタリストで、
そのエルモア・ジェイムズもかくやといわれるスライドギターにより「スカイ・ドッグ」と呼ばれていました。

クラプトンはTHE BANDによってレイドバックした音楽を指向します。
それは、アメリカのミュージシャン達とのセッションという形で表出します。
アメリカ南部のロックバンドがサザン・ロックを生み出したように、
クラプトンは、その後のソロ作の指向性をこのアルバムで作ったんだと思います。

さて、このレイラ・セッションでのツイン・リードで特筆すべきは、
クラプトンのギターのトーンの変化、デュアンのスライドギターでしょう。

クラプトンはこの時期、フェンダーのストラトキャスターを使っています。
それは、このアルバムのジャケットの裏側の写真で、
彼の愛機ブラウニー(サンバーストのストラト)が写っていることからも伺えます。
ちなみに僕の最初のエレキギターは、
このギターによく似たフェンダージャパンのストラトでした。

ギブソンを愛用していたクリーム時代とは違い、
このアルバムでのクラプトンのトーンは明るく、きらびやかなものに変わっています。
それまでのクラプトンと言えばウーマントーンです。
ギターのトーンつまみをゼロにして弾く甘いトーンのことです。
このアルバムのライブバージョン、
In Concertではワウをトーンベンダー的に使ってたり、
試行錯誤している様子がよく解ります。
ハムバッキングのギターよりも、
カッティング(コード弾き)に向いているシングルコイルは、
メインボーカルをこのバンドで努めているクラプトンには必要だったのでしょう。
実際、ギブソン レスポールはとても重くてボーカルするには体力的にもきついですし。
ちなみにクラプトン本人はギブソンからフェンダーに変えたきっかけを、
ギブソンES335の弦がやたらと切れたからだと言ってました(笑)。

そして、デュアン・オールマンですが、こちらはギブソン レスポールとSGを愛用しており、
中域の強いリード、オブリ向けのトーンです。
ストラトも部分的に使っていたようなのですが、クラプトンとのトーンの棲み分けを意識していると思います。
スライド(スライドバーを用いたギターの奏法)のほとんどは、
デュアンの方が弾いてます。
その味はさすがにスカイドッグ!といった感じで、
どこまでもサスティンが伸びていくような感じがします。
リードも凄いんですが、デュアンは裏メロの取り方もうまいんですよね。
ボーカルのメロディーラインを補強するようなオブリは彼の真骨頂です。
僕も、自分のアルバムでよくこういったことをするのですが、
間違いなくデュアンの影響だと思います。

クラプトンはボーカリストとして大器晩成型であり、
90年代になってようやく味が出てきます。
当時のクラプトンのボーカルはまだまだ下手でした。
それまでクリーム時代に、
ちょこっとメインボーカルをした程度であることは誰もが知っていました。
このアルバムでコーラスを担当しているのは、
キーボードのボビー・ホイットロックですが、
明らかにクラプトンより歌がうまいように聴こえます。
最初からこっちがメインボーカルやれよ!ってよくツッコミ入れてました。
ただ、曲のクレジットからすると大半はクラプトンが書いてるし、
これはこれでアリじゃないかと思うようになりました。
ビートルズでもそうですが、その曲のメインライターがボーカルするというスタイルは、
邦楽にはあまりない要素です。
確固たるボーカリストが存在するバンドもいいんですが、
こういう区分けをするバンドもまたアリなんですよね。
上手下手より、ライター重視ってなんか民主的じゃないですか(笑)。

しかし、作曲者クレジット見るとあながちクラプトンだけが書いているようではなさそうです。というのも、クラプトンとボビー・ホイットロック共作が5曲、ク
ラプトン単体が1曲、ボビー単体が1曲、
他の7曲はクラプトンと他の人物の共作とカバーですから、
少なくとも6曲はボビーが関わってます。
そういう理由でコーラス担当、最後の14曲目が彼のメインボーカルというのは、
作曲者イコール、ボーカルの法則に合っていると思います。

ロック史上最高の名曲の一つと言われるLAYLAのBパートは、
このバンドが解散するきっかけを作ったドラマーのジム・ゴードンが書いたものです。
ということは前半のAパートはクラプトンが書き、後半のピアノパートはゴードンになります。
レイラで有名なのは、クラプトンの禁断の愛でしょうか。
親友、ジョージ・ハリソン(ビートルズのギタリスト)の妻パティに対する、
恋情は日増しに高まり、クラプトンを苦悩させます。
レイラはそんなクラプトンの心情を如実に反映した曲であり、
彼はLAYLAと何度も叫ぶことになります。

Layla, you got me on my knee.
Layla, I beg, it's gonna, please.
Hey layla,darling,won't you be my woman,now.

結局クラプトンはパティと結婚し、ジョージは妻を失います。
ジョージは、その後もクラプトンと友人関係を続けます。
普通なかなか出来ることではありません。
この話を聞いたとき、クラプトンは鬼や、赤鬼や!って思いましたが、
この曲聴いてるとなんとなく許せちゃうんですね、これが。
どうしようもない、割り切れないことというのは、
恋愛だけじゃなく色々とあるものです。
この曲が名曲なのは、ビビッドに苦悩を演奏に込めたからではないでしょうか。
ブルーズでも、駄目男がホームシックになる曲や、
女にふられてクダまいてる曲が多いです。
結局人間がもっとも共感するのは、
こういった苦悩から生まれた芸術なんでしょうね(gdgd感とも言うけど)。

最後に紹介するメンバーは、カール・レイドルです。
彼は、ジョージ・ハリソンのソロ作にも参加しているベーシストです。
Laylaセッションでも、堅実ですばらしいベースを弾いてます。

ただ、このバンドこの1枚で解散するんですよ。
クラプトンとドラマーが喧嘩してしまい、2枚目は制作されなかったんですよね。
しかし、この1枚のみでロック史に名を残すとは・・・。
プロデューサーはトム・ダウド。
レイ・チャールズ、ジョン・コルトレーン、アレサ・フランクリン、
クリームなどを手がけた名プロデューサーです。

そして、このアルバムで忘れてはならないのは、
ジミ・ヘンドリックスのLittle Wingのカバーでしょう。
原曲の方は、ジミヘンの2枚目のアルバムに収録されています。
クラプトンはこの天才ギタリストに、俺だったらオメーの曲はこう弾いてやる!
ってアピールしたかったんですよね。
ジミがイギリスに来て間もない頃から、
出演するクラブに足を運び、
そのギタープレイに惚れ込んだクラプトンらしいエピソードだと思います。

そのジミヘンも、1970年に死亡し、盟友デュアン・オールマンも翌年に死亡。
そして、クラプトンはドラッグ中毒になります。
僕は1970年は、ロックにとっても節目の年だったのではないかと考えています。
ビートルズの解散、ワイト島のフェスティバルの失敗、ジミヘンの死などなど。
徐々にロックは産業化し、複雑になっていきます。
その課程で黄金期は過ぎていきます。
その最後の黄金期のアルバムの一つが、LAYLAだったんだと思います。


ロック名盤 File 1 Music From Big Pink

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Music From Big Pink    The Band  1968

最初にこのアルバムの存在を知ったのは、
ギターを初めて間もない頃でした。
ボブ・ディランは有名で、
そのバックバンドだったTHE BANDはかなり地味な印象がありました。
敬愛するエリック・クラプトンが、
クリームを解散するきっかけになったアルバムだとギターマガジンで解説していたので、
さっそくCD買いました。
ちなみにその時買ったアルバムの解説文はピーター・バラカンが書いてましたww

最初に聴いた時、1曲目のTears Of Rageのじみーなバラードにビックリしました。
ロックバンドのアルバムの1曲目ですよ!!
これが、THE WHOだと絶対にありえませんww

更に2曲目のTo Kingdom Comeでは,
ボーカルのうまくないロビー・ロバートソンが歌ってたりしてましたが、
ギターがえらいカッコいい!
調べると、超絶(変態)テレキャスギタリスト、ロイ・ブキャナン直系の弟子とか。
このアルバムでは完全に黒子に徹してるんだけど、
曲の合間のオブリ(間奏)で非凡な所がちらほら見えるんですね。
そういうところが余計に職人肌というか渋く感じたのですが、
ライブ盤のLive At Watkins Glenではアホみたいにリード弾きまくってます。
どうやらこのギタリストが曲者っぽいなと思い、3曲目のIn A Station聴くと・・・。
普通にピアノ曲です。しかも、かなりいい感じの。
なんというかピアノ・ボーカルのリチャード・マニュエルがファルセットできれいに歌うのですが、このボーカル、癖になるんですよね。
下町の不器用なやさしい兄ちゃんって感じで(笑)。
とにかく、開始3曲目でかなりやられました。
もうこりゃただ者ではないだろうと。

そして、4曲目はCaledonia Mission、冒頭は地味なんですよ。
でもねこれがフェイクでした。後半部、そうBメロでは徐々に力強く演奏するんです。
そこで聞こえてくるガース・ハドソンのオルガンと、リチャード・マニュエルのピアノ、
そしてロビー・ロバートソンのギターのアクセント!
最高っす!神がかってます。

そして、名曲The Weight!これ普通では絶対に作曲出来ませんよ。
最近日本でもどこかのCMに使われてました。
この曲が秀逸なのは個人的に、演奏、コーラス、曲、歌詞総てですね。
ちなみにThe Bandは三人ボーカル出来ます。
ピアノのリチャード・マニュエル、ベースのリック・ダンコ、
そしてドラムのリヴォン・ヘルムです。
この三人がそれぞれ高域、中域、低域とパート分けしていて、
この曲ではそれが爆発します。
ビートルズもかなりうまいコーラスワークですが、
この曲では完全にそれを凌駕していますね。
歌詞は聖人になれない人の性(さが)を書いたとロビーが後に語ってますが、
騙したり、騙されたりする世の中を聖書の登場人物を使って揶揄してます。

最後のPut the right on me.
「荷物を置いて俺にまかせな」ってこれホントにロックの曲か??

We Can Talkでガースのオルガンと、リヴォン・ヘルムのドラムがいいんですよね。
ガースは元々音楽教師で、The Bandのメンバーの中で一番音楽理論に詳しい人です。
リヴォン・ヘルムはバンドの実質的なリーダーで、
ボブ・ディランのツアー中に客の嫌がらせに耐えられず逃げたのですが、
このアルバム制作中に戻ってきました。
それまで誰がドラム叩いてたかって?
もちろん、リチャード・マニュエルです。
前半のたどたどしいドラムは彼のドラムです。

それはそれで味があるのですが、やっぱりリヴォンのドラミングは他と違いますね。
フィルの手数とか、タイミングとかやっぱり本物のドラマーだなーと。
リック・ダンコは、メンバーの中でもイケ面ですね。
THE BANDがイマイチ地味なのは、メンバーの顔がぱっとしないことでしょう。
リックはこの面子の中でもロビーと共にフロントマンっぽい容貌してます。
それでもカッコが普通(笑)なので地味さは変わりませんが。
この人後にフレットレスベースを使うんですよね。
なんでもガースのアドバイスでスクールに通ったとか。
そこで覚えた音楽理論がけっこう後に役に立ったって言ってましたねー。

7曲目は1959年のカントリー曲のカバー、Long Black Veilです。
この曲かなり重いです。
無実の罪で絞首刑になった男の話なんですが、
アリバイを証明してもらえる唯一の証人が親友の妻なんですよ。
男と女はそのとき同じベットで同衾していて、
彼はその事実を黙っていて死刑になるんですよね。
その事実を知っているのは親友の妻のみ、
彼女はLong Black Veilを被って墓の前で涙する・・・。

8曲目はChest Fever これはもうガースのオルガンがキモです。
なんでもバッハの曲をモチーフにしたオルガンソロとか。
ライブでは必ずガースのオルガンコーナーがありますが、
一番目立ってたのは、前述のワトキンズ・グレンです。
雷で中断したライブの最中に、
客をなだめる為に弾いた即興のオルガン・ソロがえらいカッコ良かったっす!

9曲目はリチャード・マニュエルのバラードLonesome Suzieです。
この曲と3曲目、それと1曲目(ボブ・ディランと共作)はリチャードが作曲してます。
しっとりバラードはリチャードが書くことが多いんですが、
ロビー・ロバートソンが作曲クレジットに貪欲で、
そのせいで他のメンバーと摩擦を起こすようになります。

そして、最後の10、11曲目はご存知ボブ・ディランがTHE BANDの為に書いた曲です。
写真のジャケットの絵も実はボブ・ディラン作ですが、
なんか子供のらくがきみたいですね(笑)。
ただ、これだけの名曲を自分のバックバンドのデビューアルバムに惜しげもなく提供するってなかなか出来ることじゃありません。
辛い時期を一緒にツアーしたTHE BANDの面々に対する愛情があったんでしょうね。

10曲目のThis Wheel's On Fireはノリのいいロックナンバー、
そして最後の名曲 I Shall Be Released。
この曲、僕が唯一ピアノで弾き語り出来る曲です。
歌詞も今でも覚えてます。
無実の罪で捕まった男が、太陽が西から東に昇る様をみて希望を持つ・・・。
I see my light come shining
From the west down to the east 
Any day now. Any day now.
I shall be released.

「俺は光が差し込むのを眺めていた
西から東へと。
いつか、いつの日か。
俺は解放されるだろう。」
最後にこの曲を持ってきたのは本当に素晴らしいと思います。
プロデューサーのジョン・サイモンの狙いかもしれません。
ちなみにこの人はジャニス・ジョプリンのチープ・スリルにも、
その辣腕をふるっています。

このアルバムの本当の意味は徐々に過激になっていくロックミュージックから、
レイドバックした音楽に帰っていくきっかけを作ったということにつきます。
同時期に出てきたアメリカのロックバンドで、
バーズやバッファロー・スプリングスフィールドがありますが、
イギリスでのブルーズリバイバルとは対照的なイメージがあります。

というのも、イギリスのシーンでは当時ストーンズやクリーム、ヤードバーズ、ジミヘンなど、
ブルーズ系のロックバンドが台頭していました。
その後のレッド・ツェッペリンや、ディープ・パープルなどのハード路線に繋がります。

The Bandやバーズは、フォークやカントリーといった要素を取り入れつつ、
アメリカの芳醇な音楽と融合していくムーブメントを生み出しました。
エリック・クラプトンはこのアルバムMusic From Big Pinkが発表された後、
クリームを解散。
そしてデレク・アンド・ドミノスを結成し、
デュアン・オールマンと共に歴史的名盤を作ります。

さて、ブルーズの話題が出たのでついでに書いておきますが、
ボブ・ディランはブルーズも好きで、よくライブで演奏していたようです。
その時にディランがロビー・ロバートソンに振り向くとロビーがリードを弾き、
またディランが歌い、その後振り向くと、リードを弾くといったことをよくやっていたそうです。
考えてみれば、ロビー・ロバートソンの師匠の、
ロイ・ブキャナンもかなりのブルーズ通であり、
この時代の音楽にブルーズは欠かせない存在であったというエピソードだと思います。

ちなみに、THE BANDの名前の由来はウッドストックで、
クラッカーズとかいう隠語を含んだ名前だったので周辺の住民に、
あのバンドと言われていたからだそうです。
ビッグピンクというのは、ボブ・ディランが住んでた家の外装かららしく、
僕は以前ここで録音したんだと思っていました(実際にはNYのスタジオ)。

メンバーの半数はカナダ人なので、ニール・ヤングといい、
カナダからはいいミュージシャンが出ますね。

次回はまだ未定ですが、近いうちに書きますので、
読んで下さいww




Rock名盤解説開始!

以前から構想していたのですが、
Rockの歴史的名盤に対して解説していこうと思っています。 
僕の名盤の条件としては、 
1.アルバム自体の出来 
2.時代に与えた影響 
が主な基準になります。 

1に関しては、アーティストの力量もさることながら、プロデューサー、エンジニア、 
スタジオなど複合的な条件が必要になります。 
最初の材料として、アーティストの書く曲自体がしっかりしていないと成り立たないし、 
演奏のレベルも重要です。 
実際に名盤を生み出すアーティストの大半は、
ライブのパフォーマンスに定評があります。 
ツアー中に出来た曲をそのままニューアルバムに収録したら、 
名盤が出来たという例は枚挙にいとまがありません。 
アーティストの力量イコールライブバンドという例はあながち間違ってません。 

しかし、じっくりスタジオで曲を煮詰めた例もあります。 
これは音楽のもう一つの側面=芸術性の問題でもあります。 
アルバムにコンセプトを持って取り組む場合はまとめて曲を作る必要があります。 
こうなると、ツアー中に作曲するのはなかなか出来ません。 
そこで、ツアーが終了してからコンセプトに基づいて、
曲を完成させていくやり方をします。 

プロデューサーはいうまでもなく、アルバム制作の要です。 
名盤には優れた手腕のプロデューサーが存在します。 
バンドの方向性を理解し、
アルバムをまとめあげるには指導力のある人物が不可欠です。 
例を挙げるならビートルズのアルバムを手がけたジョージ・マーティン、 
ジミ・ヘンドリックスのエディ・クレイマーです。 
ただ、バンド自体がセルフ・プロデュースする場合もあります。 
それは、プロデュース能力を持ったメンバーがいるケースに限られます。 
有名なのがレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジです。 

エンジニアで重要なのは録音、ミキシングです。 
録音は色々な機材を使って主にスタジオで行いますが、 
エンジニアのセッティングがきちんと出来ていなければ話になりません。 
ミキシングは複数のトラック(各楽器のパートごとの録音データ)や、
テイク(録音した回数ごとの音源)を選定しなければなりません。 
その作業は気が遠くなるほど膨大であり、 
自分のアルバムでは途中で投げ出したくなりました。 
ミキシングという調理がしっかりしていないと心地良く音楽が聴こえません。 
エンジニアはアルバムを調理する立場でもあります。 

2の時代に与えた影響というのは一番無視出来ません。 

名盤=ムーブメントを起こすことです。 
例を挙げるなら1960年代ですね。 
ロックの市場が急速に拡大し、ベトナム反戦運動やヒッピーといった文化、
ライフスタイルに与えた影響は無視出来ません。 
この条件で限定するなら60年代のアメリカ、イギリスの音楽はやはり黄金期でしょう。 

21世紀現在でも優れたミュージシャンはいますが、
ここまでの影響力は持ちえないでしょう。
なぜならもはやロックはカリスマではないのです。 
時代はとっくにポスト・ロック(ロック以降の音楽)に移ろいつつあり、 
ロックミュージシャンは思想をも含めたカリスマ性を求められなくなりました。 

そういう時代に入ったことは、個人的には残念ですが、過去の歴史が記す通り、 
その時代にとってのマストの文化は移り変わります。 
古代ギリシャではホメロスの詩、ルネサンスの絵画、近代の文学、
そして現代のロックミュージック・・・。 
これから色々な音楽は生まれますが、
ロックの斜陽期であろうともバンドがやれて良かったと思っています。 
なぜなら20世紀後半の最もビビッドでエキサイティングな文化だったのですから。 
一つのけじめとして僕や世界が影響を受けたロックの名盤を、
解説していきたいと思っています。 
第一弾は、The Band "Music From Big Pink'です。 

    2月の予定

    2/17(FRI)
    音太小屋

    オープン19:00   スタート19:30
    チャージ¥1,500 (ワンドリンク付き)

    よろしくです!

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